愚痴が止まらない父、時々母との旅行日記

父からの1通のメールが始まりでした

過大な幸福を期待する

 

日記

 

今朝は目に入ったカレンダーの名言に色々考えさせられました。

 

その名言が、

 

「幸福の最も大きな障害は過大な幸福を期待することである」

by ベルナール・フォントネル

 

めちゃめちゃ納得すると同時に、”過度な幸福”を期待していないだろうか?と自問自答しました。

 

「取りたい資格は全てスムーズに取れる」「毎日やる気に溢れている」「美味しい食事が食べられる」「挨拶をすれば相手も返してくれる」、、、、

 

大なり小なり、色んなことを期待していることに気づきます。でも、期待することが悪いとは思いません。

 

”期待”することは毎日のモチベーションを上げ、”期待”することで生活にもハリが出てくる。また、幸福を”期待”することは夢をみることと同義でもあると考えます。僕は「夢がないと(目標がないと)人は生きてゆけない」と思っているので、幸福を”期待”することは僕にとってめちゃめちゃ重要です。

 

 

ここで大事なのは、過度な幸福を期待しているかどうか、つまり、自分でコントロール出来ないことを期待しているかどうかです。(フォントネルさんが伝えたい過度な幸福の真意とは異なる気がします。あくまで個人の見解です)

 

 

「取りたい資格を全て取る」ことは自分次第で何とでもなるでしょう。

しかし、「挨拶すれば相手も返してくれる」かどうかは自分ではコントロールできません。その相手次第です。

 

自分でコントロールできない幸福を期待して、それが期待通りにならなかった時に人はかなりの幸福度を消耗するでしょう。

 

それでは「自分でコントロール出来る幸福なら何でも期待しすぎていいの??」となりますが、”期待しすぎる”のは問題ないと考えます。自分の夢や目標を期待しすぎて悪いことがあるはずがありません。

 

肝心なことは、心の何処かに「受け皿」を設けておくことです。

期待通りにならなかった場合に「まあそんな上手くいかんわな」と軽く流せるようにしておくと幸福度はそれほど消耗されないと思います。

 

僕が野球ばっかりやってきたことは何度かこのブログでも書きましたが、ポジションはずっと捕手でした。ずっと捕手だった僕は「受け皿」の準備が得意で、何か思い通りにならなくても「しゃーないよなあ」と流すことができます。(捕手は常に最悪なことを想定するべきと教えられてきました。そうすることで試合中にパニックになることがなくなります。)

 

 

まあ、朝見た名言から感じたことを書いてみましたが、何とまとまりを書いた文章なのか( ^∀^)

 

とりあえず、朝から考えさせてくれたフォントネルさんに感謝しておきます。

 

いつもお読みいただきありがとうございます!!

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